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2012年のラッキーカラーは? [ファッション]


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2012年は風水でいうと「金(ゴン)の年」です。
この金はお金を意味するのではなく、品格、マナーなどその人自身の「格」が問われる年。
具体的には容姿や知識、仕事、恋愛人間関係などあらゆる場面において「今より上を目指す」こと。

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自分の格を上げることで運気も上昇します。

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ラッキーカラーとしては
ベビーピンク
ジュエリーをイメージさせる
プラチナシルバー

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サブカラーで
気品をもたらす
ベージュ
グレードの高さを表す
アイボリー
ペールブルーをプラスしても良い

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マルタン・マルジェラについて

歴史・解説

デザイナー、マルタン・マルジェラは1957年ベルギーに生れる。80年、アントワープ王立芸術学院卒業後ミラノで学び、84年より、ジャンポール・ゴルチェの下で修行を積む。88年、ブリュッセルの小売り業者、Jenny Meirensと会社を創設。88年10月の89春夏パリ・コレクションにてデビュー。シルエットの細いジャケットやボトムを提案し、これ以降の10年間、それまでのゆったりとしたミラノモードに対して、ボディ・フィット(スリム)なシルエットが全盛となったといわれる。その後、病院や駅でコレクションを行い、そこでボロ布を用いた衣装を発表し、注目を集める。コレクションでも、入り口でリボンが配られ、それを手首に巻くとリボンに書かれた文章がつながったり、古着の再生や新しい服の古着風加工など、独自の視点からの服作りを行う。90年代には逆に「大きめの服」を発表。94秋冬から大柄の女性と男性用に「XXL」サイズ開始。1998春夏ではコムデギャルソンとのコラボレーションを行う。98年から「エルメス」のレディス・プレタポルテのデザインも担当。98秋冬ではマーク・ボドウィックによるビデオ・プレゼンテーションやジェーン・ハウが人物大の人形を使って表現したインスタレーションを行う。99春夏からメンズラインスタート。2000年9月に世界初となる路面店を恵比寿オープンした。2002年、青山店、2003年8月大阪店オープン。

2002年、ディーゼルの所有者レンゾ・ロッソに買収される。

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2004年春夏シーズンからレディスの新ライン「4」の販売を開始する。「4」は「6」よりも高価格の設定となる予定。2005春夏からベーシックライン「14」、2005秋冬からアクセサリーライン「11」、シューズライン「22」をスタート。2008年2月サングラスライン「L'INCOGNITO」デビュー。「匿名」という意味で目張りのようなフォルムが特徴。ナンバーは「8」。

2008年、設立20周年を記念して、イタリアのジュエラー、ダミアーニとコラボレーション。11月にイアリング、リング、ペンダントなど14個のコレクションを発売する。ナンバーは「12」。さらに、アントワープのモード博物館で2009年2月8日まで設立20周年を記念した回顧展「Maison Martin Margiela (20)」を開催。

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2009年にはロレアルと共同で初のフレグランスを発売予定。ナンバーは「3」。2009年にはR.E.MのMichael Stipeがメゾン・マルタン・マルジェラのためにスターリング・シルバーのマイクロカセットを制作。「マイクロカセットはジュエリーとも美術品としても定義することができません。それは同時に両方の意味を持ち、所有者が望む方法で着用することも表示させることもできます」とマルジェラのスポークスパーソン。マイクロカセットは199個限定。それぞれにStipeのサインがつけられる。

2009年10月、2010年春夏パリコレクションの発表後、メゾン・マルタン・マルジェラの大株主であるディーゼルのRenzo Rossoが、もはやマルタン・マルジェラ自身はデザインに直接、関係していないことを明らかにした。2010年春夏コレクションはマルジェラが指名したデザイン・チームが手がけているという。「マルタンはもう、長い間ここにはいません。しかし、彼のスタイルはここにあります。私たちは新鮮なデザイン・チームを持っています。私たちは将来の若く現実的なエネルギーに注目しています。これは2015年のマルジェラです」とRosso。ハイダー・アッカーマン(Haider Ackermann)が後を引き継ぐという噂が流れているが、アッカーマンは断ったという情報もある。

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NYタイムズによるとマルジェラは2008年にラフ・シモンズに後を引き継ぐよう、依頼したがシモンズはジル・サンダーを選び、ジル・サンダーと3年間の契約を更新。その後、新デザイナーの探索を始め、ハイダー・アッカーマンと交渉したが断られたという。一方で、マルタン・マルジェラは契約上、無期限にクリエイティブディレクターを務める義務があるという話もある。

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ヨウジヤマモトについて [ファッション]

ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)は山本耀司が設立したファッションブランド

山本耀司は、1943年、東京生れ。慶応義塾大学法学部、文化服装学院卒業。





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81年に発表したパリコレクションで当時タブーとされていた“黒”を前面に押し出したショウを発表し、“黒の衝撃”と称され一大旋風を巻き起こす。賛否両論の評価を受けつつも、時代に流されないその反骨精神はモード業界に革命をもたらす。



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69年「装苑賞」「遠藤賞」を受賞。72年ワイズ設立。

山本のデザインは、彼の打ち出したアシメトリックなカッティング、身体と服の間に空気をはらむようなシルエットは、ボディコンシャスな時代のファッションの慣習を覆すものだった。素材感でみせるレイヤードやドレーピングで見せる独自のスタイルは、ファッションの美意識を書きかえ、伝統的な男性服のスタイルを女性服にとり入れるなど、彼のコレクションはジェンダーの固定観念を打破したと言われる。


89年ヴィム・ヴェンダースによるドキュメント映画「都市とモードのビデオノート」発表のほか、ワーグナーのオペラ、ピナ・バウシュ舞踊団、北野武監督映画などの衣装制作も手がけるなど、幅広い活躍を続けている。

02年にはアディダスとの共同ブランド「Y-3」のクリエイティブディレクターに就任、ファッションとスポーツという2つの世界を融合し、革新的なスタイルを打ち出す。


08年4月には北京にてY'sのショウを発表。

「TALKING TO MYSELF」(02)、「A MAGAZINE」(04)など関連刊行物多数。94年フランス芸術勲章「シュヴァリエ」受章、05年フランス国家功労勲章「オフィシエ」受章、他08年ロンドン芸術大学より名誉博士号を授与される。

2010年4月に、「YOHJI YAMAMOTO THE MEN 4.1 2010 TOKYO」を東京の国立代々木競技場 第二体育館にて開催。2011年、Webサイト限定で販売するブランド「s’yte(サイト)」を発表。



Y-3
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ヨウジヤマモトのライン
ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)
ワイズ(Y's)
ヨウジヤマモト プリュス ノアール(Yohji Yamamoto + NOIR)

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デザインあれこれ≪ア行≫ [ファッション]


≪ア行≫


●アシメトリー
アシメトリーとは左右非対称の意。
左右のデザインが違っていたり、左右のポケットの位置が違っていたり、パンツやスカートなどでよく見かけます。

アシメトリーの反対にシンメトリーがあるが、アシメトリーのほうがデザイン的には個性的、若者には好まれるようです。

インテリアにも左右対称でないものが多くあるが、デザイン的にも感覚的にもお洒落な雰囲気があり、デザイナーショップやキャラクターショップなどに数多く商品が並んでいる。


●Aライン
クリスチャン・ディオールがコレクションで発表して以来、何度も流行を繰り返しており、もはや基本ラインのひとつで、AラインのワンピースやAラインのスカートなどは定番。常にいろいろなアイテムにも使われるラインです。

アルファベットのAの字型のシルエットです。上のほうが小さく、下へ行くほど裾広がりのデザイン。


●アップルライン
アップルは「広い、広大な」の意。全体にゆったりしたシルエットでルーズフィットの新しい表現としてよく使われます。

体のラインが出なくて、ゆったりと楽に着こなせるシルエットで、ジャケットやコート、ワンピースやスカートなどにも分量の多い服も見かけます。
今日では全体にスリムラインやコンパクトラインが多いため少なくなっているシルエットでもあります。



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●アローライン
クリスチャンディオールが1956年春夏コレクッションで発表したライン。

フランス語でいうと、リーニュフレーシュを英語に直したものが「矢の線」と訳されます。
ちょうど矢のように上から下までまっすぐなラインを言う。現在でもワンピースやスーツ、ジャンパードレスなどにもアローラインの服があります。

また、fラインとも呼ばれることもあり、これは横から見たときにアルファベットの小文字のfを思わせるところからきたもの。

●アンサンブル
アンサンブルとはフランス語で「調和、統一、一緒に」の意味。

ワンピースとボレロ、ワンピースとジャケット、コートとスーツやコートとワンピースなどが同じ生地で、色、柄、デザインなどに統一した組み合わせをいうことが多いですね。


●アースシューズ
大地(アース)を踏みしめて歩く靴といったコンセプトで、人間工学に基づいた、健康に良い靴として1970年代から履かれ出しました。

スウェーデンのアンカルソー女史の創案といわれ、靴の後ろがやや低くなっているゴム製のフラットソールが特徴。
1970年代に日本を含めて世界的ブームを巻き起こした後、一度は市場から消えてしまったが、近年、今風なスタイルやデザインで復活しています。



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●イタリアンカラー
ワンピースカラー(台衿が付かないシャツカラー)の代表的な衿型。
衿腰(2枚衿で折り返しより下の部分、首に沿って立っている部分)が低く、1枚断ちでそのまま前立て(前身ごろの明きにつける細長い布やその部分)につながった形のもので、V字型のネックラインに衿をつけ、衿先を角形にした衿です。

また、セーターなどで、Vネックライン(V字型にカットされたネックライン)にポロカラーのような衿をつけたものをイタリアンネックというが、時としてそれをイタリアンカラーと呼ぶことがあります。


●イタリアンシューズ
特につま先が細くシャープな感じでトウや底が薄く、そり返りのある婦人靴や紳士靴をいうことが多いイタリア型の靴の総称。

紳士靴では重厚なつくりの英国型に対比させて、華奢(きゃしゃ)でエレガントなイメージのものをこう呼ぶこともある。
狭義にはイタリア独特の工芸的なタッチが施された靴を指します。トウが四角にカットされたものをこう呼ぶことも。
60年代に流行したイタリアンコンチネンタルスーツに合わせるためにデザインされました。


●ウイングショルダー
肩先に翼(ウイング)のような張り出しが付いた肩線のこと。
アルプスの伝統的なローデンコート(アルプスのチロル地方に見られる伝統的な防寒コート)に見られることからローデンショルダーともいいます。

他に、ウエルテッドショルダー(縁取りのある肩)やオーバーショルダー、フランジショルダー(縁取り飾りを付けた肩)といった名称もあり、フローティングショルダー(肩先が張り出して、身頃から浮き出したように見えることからこの名がついた)、カミシモショルダー、アルパインショルダーとも同義です。



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エプロンドレス
エプロンとドレスの両方の機能を備えた婦人服。ほとんどが胸当てが付き、後ろ明きになり、ウエストはひもやベルトで締め、スカート部分はゆったりとしているのが特徴です。

重ね着の上に着ることが多く、ホームドレス(家の中で着ることを目的とした、ゆったりとくつろげるドレス)として用いられることも。

また、エプロン型をしたスカートやエプロン付きドレスと言う場合もあり、エプロンスカートはジャンパードレスともいいます。
見た目にエプロンぽいこともあるが、組み合わせの仕方しだいでお洒落なドレスに見えることも。

●エポーレット
肩章(けんしょう)また肩飾りと訳されます。

トレンチコートやカジュアルなジャケットなどの肩のところに付くタブ(衣服などの各部につける垂れとか垂れ飾りの意味で、ボタンで留めて機能性を持たせたり装飾的な役割も果す)状の布片をいいます。

もとはフランス語で肩を意味するエポール(epaule)に小さいを意味する指小辞のetteがついてエポレット(epaulette)となったもの。
つまり小さな肩をあらわし、これが英語化してエポーレットと呼ばれるようになりました。エポーレットは軍服のデザインとして18世紀中期から見られます。



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アイテムあれこれ≪カ~タ≫ [ファッション]


≪カ行≫


●カクテルドレス
カクテルパーティー時に着るドレス。
現在ではディナードレス(ディナーに着用するドレス)と同じように夕方から夜にかけての礼装として用いられます。

本来はカクテルは夕食前の飲み物で、このドレスは午後のアフタヌーンドレス(午後のフォーマルな場に着用するドレス)と、夜のイブニングドレス(夜間の社交の場に用いるドレス)の中間にあたるものとして着られたが、現在は昼間に着ることも増えています。

最も流行感覚を取り入れやすく、華やかな感じのフォーマルドレスでデザインもバラエティーに富んでいるのが特徴。


●カジュアルドレス
フェミニン系やエレガント系以外のカジュアル調のドレスのことで、素材的には天然ものがほとんど。

若い女性からも中高年の女性に至るまで夏場の人気商品で、他のものとの組み合わせをしなくても、ドレスのみでのお洒落ができる特典があります。

●カッターシャツ
カッターシャツはドレスシャツの日本的な呼び方。
主に関西圏のほうで使われており、関東ではワイシャツを中心に使われている。

カッター(ボートの一種)競技のユニフォームにちなんで呼ばれてる説があるが、実際は日露戦争に勝ったことを記念して名づけられた日本のメーカーの商品から来たものだそう。

また、ワイシャツはホワイトシャツのホワイトの「ワイ」からきたもので、ビジネスマンにとっては必須のアイテムですが、無地だけでなく、甘いストライプやチェックなどが主流になり、カジュアルdayなどでカッターシャツも全体的に少なくなっています。


●カーゴパンツ
カーゴは「貨物」の意味。カーゴパンツは貨物船の乗組員が穿いているような丈夫な作業用パンツを指します。
脚部の両脇に大型のアコーディオンポケット(大きなフラップ付のパッチポケット)が貼り付けられているのが特徴で、これを俗にカーゴポケットと呼びます。



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●ガウチョパンツ
ガウチョは南米アルゼンチンのパンパス(草原地帯)住んでるスペイン人と現地人のカウボーイのこと。
彼等の着用している七分丈のパンツのことを指します。

ゆったりした裾広がりのシルエットが特徴で、いかにも民族調の雰囲気。

今日では全体にスリムなシルエットが主流になっているので、なかなか見る機会がありません。



●キャスケット
散歩や狩猟などでかぶる男性用の帽子のこと。
この型を応用して作られた婦人帽もあり、現在は男女ともにかぶられます。

キャスケットは、しっかりした前ヒサシが付いた帽子の総称で、日本の学生帽にも似た形でクラウンは平たく、素材は比較的やわらかい布、フェルトやコーデュロイなどを使って作られています。

地味な色から派手な色までバリエーションは多く、なかにはレザー製も。

1960年代半ばに登場したモッズルックでも取り入れられ、モッズキャップと呼ばれることもあります。

なおハンチング帽がイギリス生まれの男性用で、キャスケットの原型となっていて、キャスケットはフランス生まれの女性用でハンチング帽の派生型というのが定義とされるようです。


●キュロット
語源を「尻」とするフランス語で、「小さなお尻」または「半ズボン」の意味。
一般的には女性用のスカート型パンツとしてキュロットスカートの名で知られます。

英語の複数形「キュロッツ」は、婦人用の左右に分かれた「まち」入りスカートに対して用いられます。

本来は17世紀末~18世紀末に貴族の脚衣として使われた男性用の膝丈の半ズボンで、腰回りはゆったりし、裾に向かって細くなり、裾は細いバンドなどで留めピッタリと脚にフィットするようになっているのが特徴。

仕立の技術も高度なもので、それまでのショース(股引に似たズボン)に代わって出現。
フランス革命の際、革命党員等は貴族の象徴だったキュロットを拒否する意味で、長ズボン(パンタロン)を穿いたことから、サンキュロット(キュロットを穿かない人の意)と呼ばれました。




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●クラッチバッグ
クラッチバッグは持ち手のないコンパクトなバッグの総称。フォーマルなファッションにふさわしいアイテムの代表格です。

持ち手がないのでそのまま手に持ったり、脇に抱えたりできる程度の大きさのもの。
収納するのは口紅、ハンカチくらいで、パーティ用の小ぶりなバッグのなかでもフォーマル度アップが狙えます。

形は横長で薄型が多く、形成のしっかりた作りに、布やレース、レザーを張り、ビーズ、金属メッシュ、ときには宝石をあしらってゴージャス感を演出できます。

形成を整えず素材の持ち味を活かした作りや、カッチリとしたタイプが主流。クラッチ(clutch)は、しっかりと掴むという意味。


●コルセット
胸から下、ヒップの上までをぴったりと締め付け、胸から腰にかけての体形、特に胴を細く締めるための女性用下着のこと。

フランスではコルセ、日本ではコールセットと呼ぶ場合があります。横皺を防ぐため、綿やサテン地に針金や鯨の髭を入れたり、紐で編み上げて形作る。

原型とみられるものは、12~13世紀頃のステーズ(胴衣)。以後、16世紀にバスキーヌ、コルピケ、コルバレネと名前を変えながら改良が加えられました。

コルセットの名で利用されたのは19世紀からで、男女ともに、シルエットづくりの必需品となり、着用されるように。

ルイフィリップ(在位1830~1848年)の時代には、砂時計型シルエットといわれる流行が起こり、極端にウエストを締めるコルセットが登場し、有名になったのは、1890年頃コルセットを着けることで可能になるS字型シルエット(ギブソンガールスタイル)が女性に流行したからといわれています。




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≪サ行≫


●サッシュベルト
幅広ベルトのこと。
バックルより幅広いベルトをシワを寄せてバックルに通して留めるため、バックルの周辺にできるシワの持ち味を楽しむのが特徴。

柔らかな布や皮革、または服と共生地で作られていて、サッシュ(sash) は、女性や子供の肩、腰につける飾り帯の呼び名に由来します。
また軍人が肩から掛ける正装用の肩帯や憲章のこともサッシュと呼びます。トレンチコートなどが代表的。



≪タ行≫


●ダンガリーシャツ
ダンガリーという丈夫なコットン地でつくられた基本的なワークシャツ(機能的なディテールと実用性を第一に考えた作業用のシャツ)のひとつ。

ウエスタンシャツ(アメリカ西部のカーボーイたちによって、着られて発展してきたカジュアルシャツ)から装飾性を取り除いた感じのスタイルが特徴。

多くはインディゴブルー(インディゴとはもともと「インド風」という意味で、植物染料であるインド藍で染めた色に見られる紫みの濃い青)の色使いです。

もともとアメリカ海軍の艦上用作業服として使われていたもので、ダンガリー地でつくった衣服を総称してダンガリーズと呼びます。


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アイテムあれこれ≪ア行≫ [ファッション]

以前からこのブログではファッションの流行や用語について書き連ねていますが、同様にアイテム、デザインについて書いてみます。

見てはいるけれど、実は意味を知らなかったり・・・ということもありますよね。
ファッションを楽しむ上で、覚えておくと得するかもしれませんよ。

≪ア行≫


●アスコットタイ
礼装用のネックウエア。モーニングコート(昼間の正装として用いる男の礼服)に用いられる幅広のネクタイ。本来は結んでタイ・ピンで留めるが、一重結びにしてスカーフのように用いるのもこう呼びます。

英国、アスコット・ヒースの王室所有競馬場の名に由来し、貴族たちがモーニング・コートにこのタイを用いた正装で出席したことから一般に流行するようになりました。
19世紀の中頃に登場したと言われ、単にアスコット、または、アスコット・クラバット、日本では蝉(せみ)型タイとも呼びます。


●アフタヌーンドレス
午後のフォーマルの場に着用される服の総称。特にワンピースのドレッシーな婦人ドレスをさすことが多い。
アフタヌーンドレスは女性にとっての正式な昼間の礼服として着用されます。

肌を見せるような透ける生地などは避けるのが原則で、丈は少し長めのものが一般的。
現代では貸衣装の店に数多く取り揃えてますので、自分で所有しなくてもレンタル衣装を利用される人が多いようです。


●アロハシャツ
ハワイが発祥地で派手なプリント柄のオープンカラー(ラペル部分が身頃から続いてテーラー風に見える)の夏用のシャツ。
ゆったりしたシルエットで裾を出して着るカジュアルなタイプのシャツです。

アロハはハワイのことばで「アイ、親切、歓迎、別れ」などの意味。
もともとは日本の浴衣(ゆかた)地を使ってシャツとしたところから始まったといわれています。
別の呼び方で、ハワイアンシャツ、ワイキキシャツ、トロピカルシャツとも呼ばれます。


イブニングドレス
一般的には「夜会服」の意味。男性、女性かかわらず、夜間の社交の場で用いる礼服を指します。

女性のドレスを指すことが多く、夜間の礼服としてはローブデコルテ(格調高く、えりを大きく開け、腕、背中や胸の部分を大きく開けた、丈が長い優雅なドレス)などのロングドレスが代表とされ、イブニングガウンとかイブニングフロックなどの別名で呼ばれています。

今までは上流社会や富豪層がが一般的だったが、今や、定年後の社交的な熟年層も夫婦で夜の社交界などに出向いて、奥様がイブニングドレスを着用して、参加される人も。



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●ウエスタンシャツ
アメリカ西部のカウボーイ達によって着用されてきたカジュアルなシャツ。

もともとは作業のためのシャツで山形のショルダーヨーク、カフス部分の変形切替え、ドットボタン(金属のアンティークやシルバーなどの打ち付けボタン)など独特な個性のあるシャツでした。
素材的には丈夫なデニムやダンガリーのやや厚手のもので作られることが多く、長袖がほとんどで夏以外の3シーズンに主に着用されています。

現代でもボトムはデニムのパンツが主流になっており、それのトップスでウエスタンシャツを合わせると、アメリカ西部のイメージが見えてきます。


●ウエスタンジャケット
アメリカ西部のカウボーイたちが愛用しているスエード素材のカジュアルジャケット。
西部劇の映画などで見られるカウボーイが着用いているジャケットが定番的なウエスタンジャケット。

ショルダーヨークや袖、裾などに長いフリンジ(房飾り(すさかざり)で布端に毛糸を束ねてつけたり、布端の地糸をすぬいて縁飾りをとる)を付いているのが大きな特徴です。

現代でもそれほどフリンジが長くないがウエスタンジャケット風の物も見られます。
素材はスエードが中心だが、合皮や普通の生地でもウエスタン調のデザインが目に留まることもあります。


●ウォッシャブルスーツ
水洗いができるスーツ。ポリエステル(石油や天然ガスなどを原料にした合成繊維)の糸で織られた男性用の指すことが多く、扱い方が簡単なことや値段が安いということから、夏向きの2着目のスーツやユニフォームなどに需要が多くなっています。

家庭での洗濯機でも簡単に洗えるように、芯地や裏地などの付属に配慮して、ポリエステル糸でしわもつきにくくなっています。
また、ウォッシャブルシャツやパンツなども家庭の洗濯機で気軽に洗えるアイテムが多いのも特徴です。



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●エンブレム
ヨーロッパ王侯貴族の家紋にあたるマークのこと。
自分のファミリーを象徴するために、楯や旗などに用いた楯形の紋章でライオン、鷹、王冠、百合の花などを図案化したものが多くみられます。

現在では学校や所属クラブのシンボルマーク的な扱いでブレザーの胸ポケットに配される胸マークをさすことも。

他に、アームズ、チャージ、クレスト、ブレイゾン、ヘラルドリー、インシグニア、ブレイゾンリーなどさまざまな別称、異称があり、ドイツ語ではワッペンと呼びます。


●オーバーオール
上下がつながっている「つなぎ服」の意味。

上着の部分に胸当てと、肩から吊るストラップに尾錠(英語でバックルのこと、ベルト上の止め具)がついた、前掛け方のパンツをいい、胸、脇、腰などに工具入れようの機能的なポケットが多く付いているのが特徴。

もともと、汚れ防止のために作業服として、普通のパンツの上にはいていたため、オーバーオールという名が付きました。
デニム地が丈夫なため多く、オーバーオールジーンズとか、サロペットジーンズ、またはカーペンダージーンズなど呼ばれています。


●オープンカラー
開き衿、開襟のことで男女とも開襟シャツとして普及。

オープンカラーは、シャツの形としては新しいものでで、1945年、世界第二次大戦終了以前では、シャツのボタンをはずし、胸元をみせるなど、失礼な格好として日常みかけることはありませんでした。

服装の改良、合理化にともない、ワイシャツの上ボタンを一つはずし、涼しくカジュアルに着ることが流行。
そのスタイルを、シャツの構造に取り入れ、はじめから衿を開いて着るシャツが誕生。
夏、胸元の暑さから逃れるため、特に男性のあいだで人気が高まりました。

●オープンシャツ
オープンカラーを特徴とするシャツの総称で、開衿(かいきん)ともいいます。

シャツカラーの一種でラペル部分が身頃からの続きの開き方となってる衿。

スポーツカラーと呼ばれるコンバーティブルタイプ(両用型)衿型になっているスポーツシャツで開襟シャツとも呼ばれます。

裾が水平にカットしてあるところからかつては夏用のビジネスシャツとして多くのビジネスマンが着用していました。
アロハシャツやイタリアンカラー(衿腰が低く、1枚断ちでそのまま前立てにつながった衿)のシャツなども含まれます。



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イッセイ ミヤケの始まりと歴史 [ファッション]


今まで、各国を代表するファッションブランドの始まりと歴史を紹介してきました。
今回は本国日本を代表するブランド、イッセイ ミヤケのヒストリーを紹介したいと思います。


●ブランドのはじまり

1970年に三宅一生が「三宅デザイン事務所」を設立、71年、ブランド「ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)」としてニューヨークにてコレクションを発表しました。


●イッセイ ミヤケについて

三宅一生(Issey Miyake)は1938年生まれ。多摩美術大学図案科在学中の60年、三宅は、日本ではじめての世界デザイン会議開催に際し、「衣服デザインが含まれていないのはなぜか」と投書。衣服をファッションではなく、デザインとして捉える視点に注目が集まりました。大学卒業後、第1回コレクション「布と石の詩」を発表。


その後、フランス、パリに渡り、シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌに入学し、その後、ギ・ラロッシュ、ジバンシーのメゾンに入ります。

68年、パリ5月革命に遭遇したことが大きな契機となり、一般の人々のための服づくりを志します。69年、ニューヨークへ渡り、ジェフリー・ビーンのもとで経験を積みます。パリではエレガントな技巧、ニューヨークでは機能と実用性を重視する服作りを学びました。


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東京に戻り、70年に「三宅デザイン事務所」を設立。1971S/Sシーズン、「ISSEY MIYAKE」としてニューヨークにてコレクションを発表。73年からは、パリにてプレタポルテ・コレクションを発表。

70年代、日本はもちろん、世界の伝統的な技術を受け継ぐ職人のもとを訪れ、失われつつある糸、染め、織りなどの技術を研究、モダンなデザインとして蘇らせる協働制作プロセスを確立しました。

三宅の服づくりは、創業当初から現在に至るまで「一枚の布」という考え方に貫かれていますが、この考えのもと、一本の糸から、オリジナルで素材を開発しながら、身体と、それをおおう布、その間に生まれる「ゆとり」や「間(ま)」の関係を追求しているのが特徴です。

80年代、身体のフォルムと動きの研究を続ける中で、プラスチック、籘、紙など、布以外の素材を用いた服づくりに挑戦します。
83年には「ボディワークス展」を開催。これについて三宅は、CBSのインタヴューで「人々がこれまでとは異なる視点で"ボディ"について考えはじめた時期でした」と語っています。

88年よりプリーツへの取り組みをスタート。93年、「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE(プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ」をスタート。このブランドでは裁断・縫製後にプリーツをかける「製品プリーツ」手法を用い、機能・汎用性・美しさをかね揃えた服を展開。これまで約400万枚が世界中で愛用されています。

98年、藤原大(Dai Fujiwara)と共にデジタル・テクノロジーを用いて「A-POC =A Piece Of Cloth(エイポック)」の開発をスタート。一本の糸、一枚の布が服になるまでの革新的なプロセスを確立しました。



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2000S/Sシーズンのコレクションより「ISSEY MIYAKE」ブランドをデザイナー滝沢直己(Naoki Takizawa,ナオキ・タキザワ)が引継ぎました。

2004年、財団法人三宅一生デザイン文化財団を設立。アーカイブ作りやデザイン文化交流、若手の作家・アーティストなどを中心とした人材育成に尽力しています。

2007S/Sを最後に滝沢直己がISSEY MIYAKEブランドでのデザイナーを退任。2007A/Wコレクションより藤原大がISSEY MIYAKEブランドのクリエイテブディレクターに就任し「A-POC INSIDE」を掲げて引継ぎます。

現在、ISSEY MIYAKE INC.にて「ISSEY MIYAKE (women/men)」「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」「HaaT」「me ISSEY MIYAKE」の5ブランドを展開。

グループ会社のA-net Inc.では「Plantation(プランテーション)」「sunaokuwahara(スナオクワハラ)」「TSUMORI CHISATO(ツモリ・チサト)」「ZUCCa(ズッカ)」「FINAL HOME(ファイナルホーム)」「Ne-net(ネ・ネット)」「mercibeaucoup,(メルシーボークー,)」の7ブランドを展開。



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ブランドには、「熟練した職人達により受け継がれてきた伝統と、先鋭的テクノロジーの双方を共存させることで、時代が求める新しい衣服を提案する」という考えがあります。これはブランド内外問わず優秀なスタッフとの共同作業により生まれるもので、「イッセイ ミヤケ」に限らず、同グループのブランドにも見られる特徴です。

伝統を受け継いでいくことはもちろん、環境問題など時代のニーズを配慮した素材開発、新しいもの作りにも着手しているイッセイ ミヤケ。日本を代表するブランドとして誇りですね。


ちなみに、イッセイ ミヤケといえばプリーツが有名です。工程はプリーツの生地を裁断して仕立てるのではなく、服の形を先に縫製してからプリーツ加工することで、特有の綺麗なシルエットを作ることに成功し、世界をあっと言わせます。その後、ツイストと呼ばれるプリーツ加工にも展開していきますが、これはプリーツに不規則な「しわ」を作り出したものです。この特殊技術により生まれるプリーツは、型が崩れなく、移動など持ち運びにも適しています。


さらに86年、米誌「TIME」(1月27日号)の表紙を飾り、「Changing Clothes(衣服の変革): Issey Miyake」というタイトルで、その考え方が多面から掘り下げられました。同誌には、99年の特集(8月23?30日号)で「二十世紀にもっとも大きな影響を与えたアジアの20人」の1人として紹介されています。


2009年7月、幼年時代に原爆を体験した三宅一生は、プラハでの演説に感銘を受け、ニューヨーク・タイムズ紙に原爆に関する記事を寄稿。これまで原爆について語ることはめったになかったが、原爆時を振り返りつつ「オバマ大統領が核戦争をなくすという目標に向かって動いてくれることを願っている」と語りました。

日本の歴史と共に歩んできたともいえるイッセイ ミヤケは服飾という手段で表現してきたアーティストでもあるのですね。



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GAPの始まりと歴史 [ファッション]


今までフランスを代表するブランド、イタリアを代表するブランドの歴史を紹介してきましたが、今回はアメリカにスポットを当てたいと思います。

アメリカを代表するブランドと言えば、ティファニー、ハリーウィンストンといった高級宝石商が誰もが憧れる有名なメゾンが挙げられますよね。
その他にマイケル・コース、トミーヒルフィガーといったブランドもありますが、今回は日本でもファストファッションの代表格としてお馴染みのGAP(ギャップ)の歴史を紹介したいと思います。また、アメリカファッションの歴史にも少し触れたいと思います。

まずはGAPブランドの始まりから。
GAPは1969年、アメリカのサンフランシスコでジーンズ専門店として設立しました。

世界中で約4000店を持つ非常にグローバルなブランドで、企画、生産、販売まで一貫して行うのが特徴です。
GAPの他に、オールド・ネイビーとバナナリパブリックといったブランドを展開しています。

創業は、1969年、アメリカ、サンフランシスコのジーンズ専門店(リーバイスなども取り扱った)を始めたところにあります。
創業者はドナルド・フィッシャー(Donald Fisher)。成長に伴い、衣服、アクセサリー、子供服としてラインナップを増やしていき今のかたちになりました。


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GAPのコンセプトは「クリーン、オールアメリカン、シンプル、グッドデザイン」で、基本は、トレンドに左右されないベーシックなデザインにありますが、時代の流れ、シーズンによりトレンドを取り入れながらデザイン性の高い製品も展開しています。

GAPの成長はライフスタイル提案型の展開にあるのが特徴といえます。コマーシャルにはミュージシャン、ダンサーなどを起用して、GAPの製品を超えた、ライフスタイル、着ることへの楽しみなど、イメージに訴えたCMや広告を展開。日本でも山手線を丸々ジャックした目立つ広告は見たことがある人も多いはず。ボブディランもCMでコラボレーションしました。



さらにGAPはファッション業界のシステムに、一つの流れを作り出しました。それは、デザイン、製造、物流、販売、マーケティングを自社で一貫して行うもので、このような製造販売のスタイルはSPA型の運営という一つの流れを作り出したのです。この手法で、世界で統一したイメージを作り出し、ライフスタイルの提案をより強固なものとしました。

同様の手法をとるブランドが、スウェーデンのH&M、日本のユニクロ、スペインのZARA、イギリスのトップショップなどにあたります。今ではハイブランドをしのぐほどのファストファッションと呼ばれるメーカーの先駆けがGAPなのですね。


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では、GAPを生み出したアメリカのファッションに注目してみましょう。

30年代以前のアメリカファッションの主流はパリのオートクチュールのコピー品であり、依然としてパリがアメリカでも強い影響力を持っていました。1930年代あたりから、アメリカは徐々に自国のファッション、アメリカンスタイルを意識するようになります。

ただ、クリスチャンディオールのニュールックがアメリカでも話題になったように、すぐに移行した訳ではなくパリの影響を受けながらも、アメリカ流の要素を加えるなど、30年代から40年代にかけて、アメリカのスタイルを意識したファッションへと変わっていきます。


そもそも、なぜアメリカンファッションへの移行を意識するようになったのか、変化の背景を見てみましょう。
20世紀初頭から産業合理化、既製服化の動きがすでに起こっていました。この動きの中で、仕立てを前提としたファッションデザインではなく、機械生産を前提とした、量産型のファッションの流れがありました。(デザインもシンプル化します。)


30年代からは、ファシズムや共産主義などのイデオロギーが主張される中、アメリカは民主主義を強く強調する必要があり、国としてさまざまな分野のアイデンティティを主張する必要がありました。その一つがライフスタイルであり、ファッションへと影響したのです。国家的なレベルで、アメリカ流のライフスタイル、アメリカ流のファッションが求められていたのです。


また40年代の第二次世界大戦も女性のファッションに大きな影響を与えます。それは中流階級でも、女性が労働をすることが当たり前となり、衣服にも「動き」が求められるようになったからです。このような流れは戦後のアメリカのカジュアルなファッションへと繋がります。

その他、戦時中で言えば、パリのモードが機能していなかったため、アメリカは独自でファッションを作っていかなければいけなかったという要因もあげられるでしょう。


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30年代あたりから百貨店・小売店はアメリカのデザイナーや製品を強く打ち出すようになります。この流れの中で「アメリカンルック」という言葉が生まれ、このシンボルとして取り上げられたのが、当時最も活躍していたデザイナー、クレア・マッカーデルでした。


クレア・マッカーデルが打ち出したスタイルはスポーツウェア(カジュアルウェア)をベースにした、シンプルかつ性能製の高いファッション。彼女はヴィオネの影響を受け、バイアスカットを使用した、着心地の良いデザインを追及します。

このようなスタイルの普及にはハリウッド映画も大きく貢献しました。30年代に活躍した女優、ジョーン・クロフォード、グレタ・ガルボ、キャサリン・ヘップバーンなどが大きな影響を与えます。

マッカーデルはこの時代、衣服の上下が分かれているセパレーツや、キッチンディナードレス(料理ができて来客にも対応できる服)、デニムを使用した服の上からはおるドレスポップのオーバー、ジャージー素材を用いたハイウエストでルーズなベビードールドレス、バレエシューズを日常用の靴に応用したデザインなど、シンプルかつカジュアルなデザインを提案します。


さて、「ジャージー素材を取り入れた」と聞いてピンときませんでしたか?
そうです!フランスでジャージー素材をいち早く取り入れ、女性をコルセットから開放し活動的なデザインを打ち出した・・・
ココ・シャネルです!

シャネルとマッカーデルの方向性は非常に似ていると言われています。
シャネルが活躍したのが10年代以降。マッカーデルは30年代と時代ははずれていますが、男性用の素材、労働服にインスピレーションを受けている点、スポーツウェア、装飾よりも機能性、シンプル化・・・。とさまざまな共通点があります。
マッカーデルは20年代、フランス留学の経験があるので、シャネルの影響を少なからず受けているでしょう。


二人の決定的相違点がありました。それはシャネルはオートクチュールであり、高所得層にフォーカスしたデザインだったのに対して、マッカーデルは既製服を意識し、幅広い層に向けてファッションを発信していた点です。
マッカーデルは既製服の限界・制約の中で、バイアスカットを用いて女性の身体を最大限考慮したデザインを展開しました。


これは60年代に出てくるクレージュとマリークワントのミニスカートに対する考え方の相違点と近しいものがあります。


この相違点こそ、当時のアメリカのライフスタイルから生まれた、アメリカンスタイル、アメリカンウェイの本質を示すものではないでしょうか。パリとアメリカはファッションのスタートラインが全く異なっていたのです。
まさにGAPの誕生にもふさわしい背景があったのですね。


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グッチの始まりと歴史 [ファッション]


前回はフランスを代表する、ココ・シャネルの歴史を紹介しましたが、今回はイタリアを代表するブランド、グッチの歴史に迫りたいと思います。

まず、ブランドの始まりから。
1921年、グッチオ・グッチがフィレンツェのヴィーニャ・ヌォーヴァ通り(7 Via della Vigna Nuova)に旅行鞄や馬具を取り扱う皮革製品店として創業しました。

創業者グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)は1881年、イタリア・フィレンツェ生まれ。
彼のコンセプトは「最上の伝統を最上の品質で、しかも過去の良いものを現代に反映させる商品作り」をコンセプトとする。
グッチは世界で初めてデザイナーの名前を入れて商品を販売したといわれています。品質保証を示すためです。自らの頭文字をあしらったダブルGのモノグラムは言わずと知れたロゴですよね。今では当たり前の「ブランド名刻印」のはじまりはグッチオ・グッチによるものでした。


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1953年、グッチオの死後、息子アルドが経営の中心となり65年ビットモカシン(グッチといえばこれですね!!)、レディスウェア、70年代に香水を発表し、ブランドのラインナップを増やしましたが、80年代に入ってから、親族間でグッチの運営を巡って血族間闘争に至ります。この影響を受け、グッチのブランドとしての勢いも低迷。闘争の後、グッチオの孫にあたるマウリッツィオの手に渡ることとなります。


グッチの代表作ビットモカシン。この靴は革製品の1ブランドから服飾品全般のラグジュアリーブランドへと大変貌する、同社の方向性を決定付けた商品とも言えます。なぜなら商品の着眼点も時流を先読みした、極めて鋭いものだったから。この靴は明らかに、第二次大戦前後からアメリカの大学生を中心に人気の出だしたローファーをベースにしたもの。その甲部に例の金具をあしらうことで贅沢さを漂わせ「大人の男性が履いても、子供っぽく見えないカジュアルスリッポン」なる新たなカテゴリーを創造し、言わば「ローファー卒業生」の受け皿を提供したのです。そう、新しいもの好きのアメリカで受けるべくして受けた靴ということです。

グッチはブランド戦略に長けていたというのは言うまでもありませんね。


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血族間闘争後、マウリッツィオは復活を目指し奮闘します。89年グッチ復興を願って当時、バーグドルフグッドマンの女性社長だったドーン・メロウをクリエイティブ・ディレクター兼副社長として招きます。彼女はジェフリー・ビーンのデザインチームにいたリチャード・ランバートソンを採用。


90年、マーク・ジェイコブスが率いるペリー・エリスで同社のブリッジラインにてスポーツウェア(カジュアルウェア)をデザインしていたトム・フォードをレディスのデザイナーに採用。彼は、ほとんど一人でウェア、アクセサリー、ギフトなど、グッチの11にも及ぶラインのデザインを手がけ、いずれもコレクションは好評を博し、グッチを復活の兆しを見せ始めました。


フォードは、マウリッツィオから指示されていたエレガンスなクラシック路線ではなく、モードを打ち出し、やがて、そのデザインは人気を集め始めます。93年には2億ドルだった売り上げは99年には12億ドルまで拡大。

99年、LVMHの敵対的買収を避けて、フランスの流通大手PPR社の傘下に入ります。

経営手腕もあり、グッチは急速に事業を拡大させていきます。1999年、セルジオ・ロッシを買収。2000年、宝飾メーカー、ブシュロンイヴ・サンローランを買収。2001年、アレキサンダー・マックイーンの株式の51%を獲得。その後、バレンシアガの株式資本の91%を所有し、次々にグッチの傘下におさめていきます。また同時期に、皮革メーカーだったボッテガ・ヴェネタを買収。2002年には、グッチグループからステラ・マッカートニーがデビュー。


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2001年、トム・フォードがイヴ・サンローランリヴ・ゴーシュのデザイナーにも就任しグッチと兼任するなど、フォードとデ・ソーレは影響力をフルに発揮しました。約10年間に渡る大活躍のデ・ソーレとフォードだったが、2004年4月30日付で退任したのは記憶にあるかと思います。ブランド・コントロールの問題で親会社PPRと対立したのが原因と言われる。

2004年5月より、フォードの後任として、レディースウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターに、アレッサンドラ・ファキネッティが就任。尚、メンズウェアラインはジョン・レイが、アクセサリーラインはフリーダ・ジャンニーニが担当しました。  

2005年、ファキネッティが、方針を巡る意見の相違を理由にレディースウェアのクリエイティヴ・ディレクターを辞任。後任にジャンニーニが就任。2006年ジョン・レイがメンズウェアのクリエイティヴ・ディレクターを辞任。このときも後任には、ジャンニーニが就任し、結局、ジャンニーニが、グッチのレディース・メンズライン、アクセサリーラインをすべて努めることとになりました。

フリーダ・ジャンニーニの、セクシーさの中にフェミニンな要素が含まれるファッションは、好評で、コレクションの時の彼女のファッションまで話題になっています。


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シャネルの歴史

この記事を読んでくださっている方は、少なくともファッションに興味のある方だと思います。
ファッションブランドといっても、海外メーカー、日本国内メーカー、エルメスやカルティエなどのハイブランド、プレタポルテによる既製服が多く出回るようになった現在は、とにかく目まぐるしく早く新たな流行が次々に生まれてきますよね。

今トレンドのファストファッションもその象徴ですね。ちょっと日を空けてお店に向かうと、もう違う洋服に総入れ替えしてあったりと、流行に飲み込まれてしまいそうな感覚さえ覚えてしまうほど。それほど現代はファッション情報に溢れ、ファッションへの関心は非常に高いのです。


皆さんは好きなブランド、憧れのブランドはありますか?
私はつい最近ココ・シャネルの半生を描いた本を読み、映画も見たところなので、いまいちど女性が今の軽やかなファッションでいられるようになったキッカケともなった、シャネルの歴史を追ってみたいと思います。


かの有名なシャネルは1909年、ガブリエル・シャネル(通称、ココシャネル)によって設立されました。



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●シャネルについて

シャネルの創立者、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)は1883年、フランスに生まれました。父は行商人、母親が他界し、家族は方々に散り、シャネルと姉は孤児院に預けられ、アメリカに渡った父を「いつか私たちを迎えにきてくれる」と信じ、修道院で育ちました。まるで小公女のようですよね。

ただ、純粋に父を待ち続けたのは姉でガブリエル自身は、決して迎えにこないこと感づいていたのか、少女の頃から私は私で食べていかなければならない、そのためにどうしたら良いかととてもハングリー精神の持ち主でもあったのです。現代の女性であれば、このような考え方を持っている人も多いですが、当時ではとても珍しいことですよね。やはり大きな事を成し遂げる人物は強い考えを持っていますね。

シャネルの打ち出すファッションは、モノトーンな色が中心ですが、それは修道院で黒などべーショックな服を着用していたからと言われているようです。シャネルは修道院の規律正しい生活の中で、お針子としての技術を身につけました。


1905年、踊り子(歌手)を目指しキャバレーで歌う仕事に就きます。美しさも兼ね備えたシャネルは、店の人気者となり、ミドルネーム、ココと呼ばれて親しまれました。これがココ・シャネル(CC)の由来で、有名なモノグラムに繋がります。

そして歌手をした時期に出会った、ブルジョワ出身の青年将校の愛人となり、その青年将校の出資で、1909年に帽子店を開業。その後もシャネルはブランドの初期段階で、恋人から出資を受けて事業を拡大していきます。

装飾が多い帽子の多い中、シャネルのシンプルなデザインは多くの注目を集めました。社交界の女性たちからオーダーが入るようになり、帽子から衣服など徐々に展開を広げていきました。


過去の成功したデザイナーは皇室、女優などの影響力を利用して自身のスタイルを打ち出すことが多かったのですが、シャネルの場合は、その美貌とカリスマ性で自分自身がブランドの広告塔となりました。今では当たり前のように聞こえますが、当時とても斬新かつ効果的なPR法だったといえます。

シャネルの影響力が大きいのは、そのスタイルが評価されたことだけでなく、彼女自身が女性として持っていたカリスマ性や、その生き方、活動的な性格からくるものからだったのでしょう。

1919年、クチュリエとしてオートクチュールのコレクションを発表。シックで着心地の良さを追求し、シンプル&エレガンスを追求します。そのシンプルさは、彼女の考える女性の解放であり、女性のスタイルでもありました。



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シャネルは「コルセットから解放した」といわれているのは有名ですね。ですが実はシャネル以前にポール・ポワレ、ランバンなどがすでに始めていて、シャネルが先陣をきったわけではないそうです。
ただ、機能的な側面を考えると、シャネルの功績はとても大きく、そのファッション哲学は女性の社会進出の先駆けとなりました。


例として、身軽で動きやすい服を求めて男性用の下着に使われていたジャージー素材にを取り入れたり、紳士ものであるツイード素材を女性用スーツに仕立て、女性がパンツを履くなどのスタイルを提案しました。

シャネルはまた、喪服でしかなかった黒をファッションの色として取り入れます。このことに関して、「きらきらした衣装を作るのは簡単でも、リトルブラックドレスを作るのは難しい」と語っています。その他、ベージュ色を好み、「本当の大地の色」として、ジャージのスーツに織り込みました。女性にとってとても機能的で動きやすく、かつ上品で美しいシルエットは今のシャネルの原点でもあるのですね。


1921年、あまりにも有名なオードゥ・パルファム「NO.5」が登場。名前の由来は、番号が付けられた実験ボトルが並ぶ研究室で、シャネルが5番目のサンプルを取り上げ「これにするわ」と言ったため、となんともシンプルな理由でした。
服飾ブランドが香水をリリースしたことは大変珍しいことでしたが、高価すぎるオートクチュールなど服飾ブランドから、手の出しやすい比較的安価な香水や化粧品をリリースし、ブランド顧客にするという手法は現在ではいたるブランドが行っていることです。


シャネルはスーツを中心に、1964年A/Wの「パンタロン・ルック」などシンプルで着易い服を提案しました。戦前のころと同様の、黒のテーラードスーツをメインにしたコレクションを発表。当時パリのジャーナリストからは「変わらないシャネル」と評価は良くはありませんでしたが、現在でも愛されるテーラードスーツを代表としたシャネルのデザインは「変わらない」からこそ愛され続けているのかもしれません。
1971年に、住居としていたパリのホテル・リッツにて、87歳でこの世を去りました。
なんと驚くことにコレクションの準備中、とまさに働きどおしのファッションに身をささげた人生でした。

シャネルの死後、ドイツ人ファッション・デザイナーのカール・ラガーフェルドがデザインを担当し、その意思は現在にまでも引き継がれています。


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